(川北の島集落5、天下の「松下」が来た、伏流水も誘致の武器、
進出企業は40社)
1984(昭和59)年9月14日、北國新聞の1面トップに大き
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な特ダネが載った。「松下電器が川北町進出」。町制施行から4年、
最初の誘致企業は、「ナショナル」のブランド名有名な国内トップ
1面トップに大き
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メーカーだった。農業が中心だった小さな町で町民が「天下の松下
が来るのか」と驚いたことは、想像に難くない。
当時の記事にはこうある。「県内の工場適地を極秘調査のうえ、全
国の手持ち用地とも比較検討した結果、川北町への進出に踏み切っ
た」。あれから38年、松下はどうなったのか。
(進出企業は40社)
川沿いの山田先出立つ白色の巨大な建物「ジャパンディスプレイ
(JDI)石川工場」。元は松下電器産業(現パナソニック)がテ
レビ受像機と部品を生産する工場が立っていた。
「周辺は幹線道路に近く」
周辺は幹線道路に近く、手取川の伏流水が豊富に使える。幾度もの
手取川の伏流水が、戻る1
氾濫にならされた土地は頑丈だ。塩害の心配もない。「島集落」の
地理条件は誘致の武器となった。「あの松下が進出」という事実が
川北の地に箔を付け、その後の進出企業は40社近くになった。
ハチバン(金沢市)は96年4月、手取川沿いの島集落である田子
島で「ハチバンフーズパーク」を開設した。「8番らーめん」の麺
やたれ、、餃子の生産拠点で、麵の年間生産量は874万玉に上る。
「手取川の軟水を使うと、程よい粘りと硬さがある麵に仕上がり、
たれもうま味を引き出せる」と谷内敏隆フーズセンター長が水質の
高さに胸を張る。手取川の恵みの水は、県民のソウルフードを支え
ているのだ。
(1丁目1番地)
町制施行以来、企業誘致を推進したのは西田耕豊元町長だった。8
3年4月の町長就任直後、西田氏は町幹部を集めて号令した。「町
が生き残るには企業誘致しかない。税収を増やすため工場用地造成
に取り組め」
「号令一下、町職員は布団を」
号令一下、町職員は布団を役場に運び入れ、泊まり込みで準備を進
役場に運び入れ、泊まり込みで、戻る2
めた。その熱意が最初に実を結んだのが松下だった。84年10月、
旧県庁で中西陽一元知事の立会いの下に松下側と立地協定書を調印
した西田氏の表情は、やる気に満ちていた。
西田氏の下で、町産業経済課長として誘致活動に奔走した元町収入
役の戸成博幸さん(82)は「当時の町の財政状況は決して良くな
かった。企業誘致に町の将来が懸かっていたからね。大変やったけ
ど、今ではいい思い出や」と懐かしむ。
西田町政で総務課長や副町長を務めた前哲雄町長も、その思いを引
き継ぎ「企業誘致は1丁目1番地の重要施策」と強調する。町が造
成した5工業団地のうち、空きがある東部地区工業団地の進出には
4社が名乗りを上げ、交渉が続く。
「先人が暴れ川と闘って」
先人が暴れ川と闘って生まれた「島集落」には事業所が集い、税収
生まれた島集落には、戻る3
を上げて町の住民サービス向上に結びついた。この地の川筋根性は
今、企業誘致への熱意となって現れている。川北の島集落5、天下
の「松下」が来た、伏流水も誘致の武器、進出企業は40社。川北
町は全国でも住み良いのベスト3に入っていると思います。松下以
来多くの企業が進出しています。税収は相当に入ると思われます。
中でも東レの工場は1番、大きいと思いますから税収も最高額でし
ょう。川北町は本当に素晴らしい町になりました。これも先人たち
の努力のたまものです。特に東レの工場が進出してからさらに発展
したのでしょうね。
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