子供達3人が小学生の頃に東京ディズニーランドへ行きました夜は叔父さんの家に泊まりです

(子供達3人が小学生の頃に東京ディズニーランドへ行きました

夜は叔父さんの家に泊まりです)

ディズニーランド

子供たちが、小学生の頃に東京ディズニーランドへ行った。東京の


叔父さんが、夜は泊りに来ればいいよと言ってくれたので、行く事

小学生の頃に

に決めた。行きも帰りも飛行機を使った。行きは東京駅まで来てそ

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こから、バスでディズニーランドへ向かった。一番下の娘が東京の

 

人はどうして、こんなに早く歩くのと聞いて来た。私は遅いと電車

の乗り換えに、遅れるからだよ。と答えた。東京駅からしばらくで

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ディズニーランドに着いた。すぐに真っ暗な中を走るジェットコー

 

スターの列に並んだ。かなり待ってやっと乗る事が出来た。最初は

真っ暗で、少し不安だったが、しばらくすると目が慣れて来て回り

が、薄く見えるようになった。不安な気持ちは無くなった。それか

ら、色んな乗り物に乗った。

 

 

 

 

 

 

「終わりにして」

この日は、これで終わりにして、バスと電車で叔父さんの、家へ向

終わりにして、戻る1

かった。叔父さんの家に着いて、風呂に入って、夕食を頂いて、早

目に寝た。次の日に早めに、起きて朝食を済ませて、デズニーラン

ドに電車を乗り継いで、向かった。東京駅からはバスで、向かった

。昨日、乗れなかったものに、次々と乗って、半分以上の乗り物に

は乗れた気がします。そして一番、心配したのはこれから、パレー

ドが始まりますから、場所を移動しないでください。と言うアナウ

ンスがあった時に、長女と長男がその場を離れて、どこかへ行って

しまったのです。私と妻は、本当に心配しました。ところが、パレ

ードが始まる直前になって、戻って来たのを見てホットして安心し

ました。後でどこへ行っていたのか、聞いたらまだ何かに乗ってい

たのだと、答えていました。本当に戻って来るのか真剣に心配、し

ました。でも本当に直前になって戻って来ました。私達は、心臓が

ドキドキして真剣に心配していました。こんな所で迷子になったら

見つけられないと心から心配しました。でも子供は親の心配も考え

ずに行動するんだなあ。とつくずく思いました。気楽なものです。

まあ、戻って来たのですから、良しとしましょう。それから、綺麗

なパレードを見て満足しました。パレードが終わって、また、叔父

さんの家を目指して、バスと電車で帰りました。一番下の娘がまた

東京の人はなぜ、こんなに早く歩くのだろう。と言っていました。

本当に不思議に思ったのでしょう。叔父さんの家について、風呂と

夕食を頂いて、早めに寝ました。

 

 

 

 

 

 

「早めに起きて」

翌日、早めに起きて、朝食を済ませて、電車で浜松町を目指しまし

浜松町を、戻る2」

た。私は、国内線と国際線が場所が反対になった事を、知らなくて

時間に余裕を持って出たので、羽田空港に、ギリギリの時間で間に

合いました。本当に良かったです。飛行機に乗って、1時間ほどで

小松空港に着いた時は、安心しました。車で家へ向かって、着いた

時は、本当にホットしました。小学生の時にいい思い出を、作れて

よかったなあ。と心から思いました。子供たちには、一生の思い出

になった事でしょう。本当に心から感謝です。いい旅でした。

 

 

 

 

 

 

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東京の伯父さんが病院を手配して慢性盲腸を抱えての大学入試がきつかったこと

(東京の伯父さんが病院を手配して慢性盲腸を抱えての

大学入試がきつかったこと)

右下腹が痛かった


大学入試のために上京する日の朝、起きると少し、右下腹が痛かった

上京する日の朝
。東京の叔父さんから、電話がかかって来て、こちらの有名な病院を

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5ケ所ほど、おさえたから、心配しないで試験を、受けに来いと言わ

 

れました。私は、下腹の痛みが気になって、なかなか行くとは、言え

ませんでした。叔父さんが何度も説得するので、死ぬも生きるも私の

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運命だと、割り切って行く覚悟が出来ました。今は本当に感謝してい

 

ます。その叔父さんも5年ほど前に、他界してしまいました。

この状

況なので、父も一緒についてきてくれました。宿に着いて、下腹を冷

やして、薬を飲んで参考書を見ていました。高専からの受験だったの

で、国立大学は、無理でした。私学でも、早稲田と慶応はレベルが高

くて無理でした。理科大の1本に絞って受験しました。次の日、会場

へ行くと500人位の人が来ていました。倍率が高いので、この中で

合格するのは、30人前後かと思ったら、開き直って以外と冷静でし

た。英語は、長文が難しくて少しの分かる単語から、後は想像で訳し

ました。数学は以外に良く出来ました。物理は、問題を良く見ると、
「ボーアの原子理論」

昨日の晩に宿で見ていた、ボーアの原子理論が、30点問題で出てい

30点問題で、戻る1
てそれを、一番先に書きました。物理も以外と出来ました。

 

それから、宿に帰って少しだけ、食事をして、横になって体を休め

ました。明日は、機械科の受験です。夜に下腹を冷やして、薬を飲

んで、また参考書を眺めていました。次の日に、会場へ行くと昨日
「試験が始まると」

と同じ位の人でした。試験が始まると、今日も割と冷静に行動でき

試験が始まる、戻る2
ました。両日とも、いい意味で開き直れたのが、良かったのでしょ

う。この日も試験は、まずまずだったと思います。次の日に、電車

で金沢へ向かいました

 

森本駅に着いて、自宅へは戻らずに、主治

医のいる外科へ向かいました。そして、すぐに、盲腸の手術を受け

ました。主治医の話では、盲腸が背中まで伸びていて間一髪の状況

で、無事に終了して難をのがれることが、出来ました。これも叔父

さんや父や主治医の先生のおかげで助かりました。目からは、自然

に涙がこぼれていました。20歳の時だったので、若かったせいも

あって、無理ができたのでしょう。1週間ほどで、退院できました

。家に帰ったら、大学から、電気科も機械科も、両方とも合格した

との通知が来ていました。盲腸を抱えての受験だったので本当に、

つらかったのです。それだけに、本当に心の底から嬉しさが込み上

げて来ました。自分でも良くやったと思います。感謝です。

 

 

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