(太郎と巡る谷口建築、世界へ飛躍の足がかり、金沢市立玉川図書館)
東京・銀座6丁目商業施設「GINZA SIX」の設計を練って
内部リンク
いた谷口吉生氏はふと、建設予定地の前で小さな石碑に目をとめた。
赤い石に「商法講習所」「一橋大学発祥の地」とあり、側面には設
の設計を練って
外部リンク
計者として父吉郎氏の名が刻まれていた。
吉郎氏が国内第1号の文学碑とされる徳田秋声文学碑など数多くの
記念碑を残したことは知っていたが、まさか銀座で目にするとは。
自身が手掛ける銀座最大の建築の前で、銀座最小の「建築」を見て
心底驚いたと後につづっている。同時に父親に見守られているよう
な安心感を得たかもしれない。
吉郎氏と吉生氏の作品が時代を超えて競演したり、吉郎氏の意匠を
吉生氏が再現したりする例は、東京国立博物館や金沢建築館でも見
られた。ただ、2人の共作となると、吉生氏が亡くなる前年の末に
完成した金沢市立玉川図書館が唯一である。
「1979年春に開館」
(歴史的建造物を保存)
1979年春に開館した玉川図書館が目指したのは、歴史的な建造
した玉川図書館が目指した、戻る1
物を活用した現在の近世資料館と、最新の機能を付加した現代的な
図書館が並び立つ複合施設だった。
総合監修を務めた吉郎氏は、1913年に建てられた旧日本専売公
社金沢たばこ工場の赤レンガ造りの外観をそのまま残すことにし、
内部にコンクリートの構造物を設置することなどに苦心した。金沢
市の伝統環境保全条例の制定につながる提言や、明治期の建築を保
存する「明治村」の創設などに奔走した吉郎氏にとって、とりわけ
使命感に燃える仕事だったろう。
一方、吉生氏は、暗く堅苦しかったという図書館のイメージ払拭に
専心した。本棚が並ぶホールを広いガラス窓で覆い、開放的な空間
とした。中庭と隣接する玉川公園が一体になったようで、あたかも
穏やかな日の光を浴びながら屋外で読書しているような感覚にさせ
られる。外観は年を経ても錆が風合いを醸す鋼材を使った壁や、指
輪をかたどったような玄関の意匠など、今も斬新さは薄れない。
「吉生氏は当時自ら設計事務所」
(父の故郷が背中押す)
吉生氏は当時、自ら設計事務所を開設して間もなかった。「父の故
開設して間もなかった、戻る2
郷の金沢が子の背中を押し、世界へ送り出した」。東北大大学院の
五十嵐太郎教授は、吉生氏が後に多くの美術館など公共建築を手掛
けるようになった足がかりが玉川図書館だったとみる。
「谷口親子ゆかりの地に」
谷口親子ゆかりの地に住む者として、誇らしい気分になる。せんえ
住む者として誇らしい気分、戻る3
つだが、この先も見る人、使う人を温かく包み込む作品を生み出し
てほしいと願いながら、さらなる谷口建築を追いかけたい。太郎と
巡る谷口建築、世界へ飛躍の足がかり、金沢市立玉川図書館。谷口
建築にはいつも驚かされます。吉郎氏と吉生氏の親子はどちらも、
ずば抜けて頭が良くてしかも才能も素晴らしいものを持っていると
思われます。その上、2人とも緻密な計算ができます。特に吉生氏
はハーバード大学へ留学して勉強してきています。2人とも世界に
通用する建築家だったのでしょうね。この事務所からは他にも多く
の有名な建築家を輩出してきています。
コメント(以下に書いて下さい)