寺越さん母子の60年、友枝さん「武志に会いたい」、訪朝66回、今は電話待つのみ

(寺越さん母子の60年、友枝さん「武志に会いたい」、訪朝66

回、今は電話待つのみ)

北朝鮮に暮らす

北朝鮮に暮らす寺越武志さん(73)=志賀町出身=が1963(昭



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和38)年5月に日本海で行方不明になってから、今年で丸60年

寺越武志さん(73)

となる。この間、母の友枝さん(91)=金沢市=の訪朝は66回
=志賀町出身=が1963

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に及んだ。「近くて遠い国」に住む武志さんは2002年に一時帰

 

国を果たしたが、この60年、ふるさとで母子が過ごせたのはこの

一度きり。節目の年に友枝さんは何を思うか。

 

「今はひとりぼっちや。もう一度武志に会いたい」

昨年11月5日、金沢市内の自宅で、友枝さんが声を絞り出すよう

に語った。

友枝さんが武志さんと最後に会ったのは、2018年4月。「これ

で最後」と決めた66回目の訪朝の時だった。

以降、2人をつなげているのは、年に一度の国際電話のみ。昨年は

恒例となっている正月に加え、高齢となった母を心配した武志さん

から、5月1日にも電話が入った。

 

(声を聞くだけ)

「お母さん」と優しく語り掛ける息子の言葉に対し、友枝さんは

「武志、武志」と名前を呼ぶのが精いっぱいだった。つながった

電話は3分ほど。会話をするというより、声を聞くだけという。

北朝鮮からの国際電話は料金が3分間で現地での1カ月分の給料

に相当し、頻繫に掛かってくることはない。

 

5月に電話があった際、武志さんは金沢で暮らす友枝さんの家族

に対し、「俺は母さんに何もできんから。頼む、頼む」と話して

いたという。その時は「8月にも電話する」と語っていたが、連

絡はなかった。

「金沢で友枝さんと暮らす家族は」

金沢で友枝さんと暮らす家族は「こちらからは手紙も電話も届か
こちらからは手紙も電話も、戻る1

ない。北朝鮮に連絡を取ることはできず、待つしかない。お母さ

んにまた声を聞かせてほしい」と語った。

 

武志さんが友枝さんの家族に「頼む」と話したのは、「もう母と

会うことは難しい」という武志さんの覚悟の表れだろうか。友枝

さんの家族によると、武志さんは高齢となった母の体調をとても

心配していたという。18年4月に友枝さんが訪朝した際、武志

さんは「お母さん、面倒を見るから一緒に住みましょう」と話し

ていたという。「本当にうれしかった」と語っていた友枝さん。

しかし、自身の年齢や金沢で暮らす家族のことを考えると、決断

ができなかった。

 

「『これで最後』と何度も言い聞かせてきたが、やっぱり忘れる

ことはできん。むなしくて、苦しい。骨になったら、武志に抱か

れてずっと一緒におりたい。これが一番の願いやね」

 

「最後の訪朝」の後、友枝さんが語った言葉である。武志さんは

一時帰国以降、友枝さんに対して「また日本に行きたい」「帰り

たい気持ちはある」と語ってきた。その一方で、近年、北朝鮮は

ミサイル発射を繰り返し、抗議する日本政府との関係は冷え込ん

だままだ。非情な国際情勢を前に母子の約束は果たされず、一時

帰国から既に20年以上の歳月が流れている。

 

 

 

 

 

 

(武志さんへ「長生きして」)

武志さんとともに行方不明となった寺越昭二さん=当時(36)=

の長男、昭男さん(72)=金沢市=は武志さんに対し、「お互い

年を取った。北朝鮮は過酷な環境だと思うが、長生きしてほしい」

と呼び掛けた。

「昭男さんと武志さんは」

昭男さんと武志さんはいとこ同士で、同学年となる。昭男さんは、
いとこ同士で、同学年となる。、戻る2

子どもの頃は武志さんの家の近くに住み、よく一緒に遊んでいたと

し、「とても明るく、やんちゃ坊主だった」と振り返る。

 

2002年に一時帰国した武志さんと対面した際には「立派に大柄

な体形になっていて驚いた」という。その時を最後に、武志さんと

は会っていない。

 

昭男さんは、北朝鮮にあるとされる父昭二さんの遺骨の変換や真相

究明を政府に要望している。昭男さんは「真実を語れる日が来るま

で、とにかく長生きしてほしい」と願った。

 

(13歳で行方不明、2002年に一時帰国)

武志さんは1949(昭和24)年9月21日、寺越家の長男とし

て誕生した。63年5月11日、当時13歳の武志さんと叔父の昭

二さん=当時(36)、外雄さん=同(24)=がハチメ漁に出漁。

翌12日に高浜町(現志賀町)の高浜港沖で無人の船が漂流してい

るのが見つかり、3人が行方不明となった。65年5月25日に3

人を死亡と認定、戸籍から抹消された。

 

87年1月22日、北朝鮮の外雄さんから生存を伝える手紙が寺越

家の親せき宅に届き、同年9月3日に友枝さんが平壌で24年ぶり

に武志さん、外雄さんと再会した。97年6月27日には武志さん

の死亡認定が取り消され、戸籍復活手続きが完了した。

 

 

友枝さんが武志さんの帰国を求め続ける中、2002年9月17日

に小泉純一郎首相が平壌で金正日総書記と首脳会談し、北朝鮮側が

日本人拉致事件を認めた。同年10月3日には、武志さんが39年

ぶりに一時帰国を果たした。

「友枝さんは1987年9月から」

友枝さんは1987年9月から2018年4月までに66回訪朝し
2018年4月までに66回訪朝、戻る3

た。友枝さんの夫で、武志さんの父である太左ヱ門さんは01年7

月に訪朝した際、武志さんの家族と北朝鮮に住むことを決め、08

年1月に平壌で亡くなった。寺越さん母子の60年、友枝さん「武

志に会いたい」、訪朝66回、今は電話待つのみ。この北朝鮮の拉

致事件は大問題である。小泉純一郎首相が拉致被害者5人を日本に

連れ帰ってきた。素晴らしい政治力である。それ以降は拉致被害者

17人の内誰も帰国していない。親は高齢のため3人ほど亡くなっ

た。速く解決しないと時間がないのだ。今は政治力のある首相が期

待されるが、なかなか難しい。速く現れてほしいものである。

 

 

 

 

 

 

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