(同じ病気で待合室で会った信子との出会いとお父さんが雪下ろしで屋根から落
ちての突然の別れ)
あどけない信子に、初めて出会ったのは、大学病院の、待合室だっ
あどけない
た。あどけなくて、かわいい子が、いるなと思っていた。初めての
時は、声をかけられなかった。2回目に、同じ場所で会った、時に
大学病院
声をかけて、横に座って色々と話した。最初は、名前を聞いて、私
内部リンク
も名前を言った。どこが悪いの、と聞いたら体調が、良くないのと
恥ずかしそうに、答えた。2人の診察が、終わって、卯辰山へでも
行って、少し話でも、しませんか、と言ったら、いいですよと言っ
外部リンク
てくれた。私の車に乗って、卯辰山を目指して、走った。病院から
は、近いので20分程で着いた。
そこで2人の、今までの事を、お互いに話した。信子は少し恥ずか
しそうだった。色んな事を話したら、お互いに少し、気持ちが楽に
なったのか、2人とも元気になった。それから、土曜日か、日曜日
のどちらかに、デートをするようになって、いろんな所へ行くよう
になった。景色のいい所や、千里浜のように、海岸線を車で走れる
所や、兼六園のような公園へ、出かけた。又、信子は、鶴来の人な
ので、鶴来の公園や、花の綺麗な山や、花壇のある所へ、出向いた
。いろんな場所で、風景を楽しんだり、ボール遊びや、バドミンン
トンをしたりして、2人は、少しずつ仲良く、なって行った。美味
しい食事を、食べたり、夏にはアイスクリームや、アイスコーヒー
も、楽しんだ。この頃は2人で、過ごす時間が、一番、楽しかった
。何よりも、貴重な時間であった。
「幸福な時間」
しかし、幸福な時間は、長くは続かなかった。運命のいたずらが、
長くは、戻る1
2人の生活を一変させてしまった。それは、冬の事だった。信子の
お父さんが、会社の社長の家の、屋根の雪降ろしを、していて転落
して、頭を打って病院で、手術をしていると言うのである。私は、
一瞬、自分の耳を疑った。本当の事なのか。信じたくない気持ちで
いっぱいだった。急いで病院へ向かった。手術中だった。その日は
遅くなったのと、手術が何時に終わるか、分からないので、家へ帰
る事にした。
次の日、又、病院へ向かった。信子の、お父さんは、一命は、取り
止めたものの、目は開けているが、誰も認識できない、様子だった
。私は、信じたくなくて、その場にいたくなかった。しかし、すぐ
に帰るわけにもいかないので、しばらくは、その場にいる事にした
。1時間ほど過ぎて、信子に説明して、病院を後にして、会社へ向
かった。
仕事をして、定時になったので、会社を出て、再び病院へ向かった
。信子のお父さんは、相変わらずの状態で、昨日と同じだった。何
をしても、反応がなくて、見ていても、辛くなるだけだった。夜も
遅くなったので、私は、家へ帰る事にした。夕食を食べて、しばら
くして、今後どうすればいいのか、少し考えて見る事にした。まず
この状態が、いつまで続くのだろう。良くなる事は、あるのだろう
か。段々と不安な気持ちに、成って来る。もう遅いので今日は、も
う休みましょう。
「いつもの時間」
次の朝、いつもの時間に、起きて、朝食を食べて、会社へ向かいま
朝食を、戻る2
した。仕事をして、昨日と同じように、定時に会社を出て、病院へ
向かいました。お父さんは、昨日と同じ状態です。この時、私は、
信子と婚約していました。信子が、話があるので、聞いて下さいと
言うので、話し合いをしました。まずは、私から、変則的になって
も、仕方がないから、とにかく、結婚をしよう。と言いました。病
院へ通いながらの、生活になるけれども、それでもいいよ。と言い
ました。信子は、気持ちは、嬉しいけれど、結婚は、出来ません。
と答えました。迷惑が、かかりますから、どうしても、出来ません
。他のいい人を、見つけて下さい。信子は、お父さんの看病をしま
す。他に方法は、ありません。と言って言う事を、聞きません。私
は、返答に困りました。
この時の、話し合いでは、結論は出ませんでしたが、27歳で婚約
して、3年間、結論が出ないまま、待ち続けました。その間に病院
を2回、変わりました。土曜日と日曜日の、どちらかに、病院へ見
舞いに、通いました。2人で話し合いを、しながら、信子の方から
もう、別れましょう。と言い出した。長い間、待たせてごめんなさ
い。そして、ありがとうございました。貴方は、いい人を見つけて
結婚して下さい。さようなら。目には、涙が光って、いました。私
は、こちらこそ、ありがとう。と言いました。そして、結婚する時
は、互いに電話で、連絡しよう。と言いました。私が結婚する時は
電話で、連絡しましたが、向こうからは、未だに電話での、連絡が
ありません。どうしているのでしょうか。
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